「間:あいだ」:superposition

F100キャンバス アクリル絵具

物質がまったく同じ位置に同時に存在するということはありえない。(一方をどけなければその位置は確保できない)
ところが、物質を構成する最小単位である素粒子では、同じ位置に異なる存在が
同時におこるという現象がみらる。
これは量子重ね合わせ(superposition)といわれる。

 

仏教の空(くう)の思想では、
あらゆるものには実体がなく、在るという様に認識しているだけであり、
それぞれの関係性によって世界が成り立っている。

といっている。

ものが在るというのは、人がそれを「在る」と認識することで在るのであり

物と物、物と人との関係性によって存在とその意義が生まれる。

単一のもの自体には何の意味もない。

 

それぞれの「在る」の間には、「間:あいだ」という概念がある。

あくまで概念だから「間:あいだ」という実態があるわけではない。

しかしこの「間:あいだ」というものがなければものの存在意義というものが成り立たない。

 

 物質を顕微鏡で拡大すると、分子構造が見え、さらに拡大すると原子核と電子が見え、さらにその先は素粒子というものがみえる。

あらゆる物質はこの素粒子からできているとされている。

 

しかしこの素粒子というものは「大きさを持たない(つまり、目に見えない、さわれない)点粒子」とされている

ミクロの素粒子の世界において大きさがないはずのものが集まって、いつの間にか

大きさがあるもの(つまり、目に見えるもの、さわれるもの)として捉えられるようになっている。

という不思議さがある。

 

*ここで、素粒子が大きさを持たない点粒子であるとされる理由は

素粒子には不確定で不思議なな性質があり、同じ位置に、二つの相異なる存在が

同時に存在するという現象(量子重ね合わせ(superposition))がみられ、

これはもし素粒子が大きさのある物体なら矛盾が生じることで、

たとえばりんごとみかんが同じテーブルのまったく同じ位置に同時に存在するということはありえない。(一方をどけなければその位置は確保できない)

だから素粒子というものは「大きさを持たない」と定義されている。

 

もし、いまいるこの世界が素粒子のような不確定な世界なら、

物と物、物と人がまったく同じ位置に「間:あいだ」を持たず存在すとこともイメージできる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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